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ラ・ラ・ラ・メディテーション

ラ・ラ・ラ・メディテーション

ヴィギャン・バイラブ・タントラ・ノート

ヴィギャン・バイラブ・タントラという講話のなかで、OSHOは112の技法について語っている。しかし、例えばその16番目の技法「祝福されし者よ、五感がハートに吸収される時、蓮華の中心に至れ」の説明ひとつでも、たくさんの実践法を語っている。その講話のなかの、ほんの一言である「音楽を聴くなら、頭で聴いてはならない。頭を忘れ、自分には頭がないと感じなさい」という1節から、ミステリースクールは、あの偉大な「ハートを通して音楽を聞く」という瞑想エクササイズを創り出した。というように、この本のなかには、人間の可能性を探究するすべての人にとって示唆に富むアイデアが、112どころでなく、そこかしこに散らばっている。僕自身のためのノートとして、和尚の講話の中の具体的な「ああしなさい。こうしなさい。」を抜粋して行きたいと思う。ゆっくりと更新します。ときどき見て下さい。(V)

鍵

16番目の技法
「祝福されし者よ、五感がハートに吸収される時、蓮華の中心に至れ」より
さて、この技法ではどうしたらいいか?


例えば誰かに触れる。ハートの人ならその感触はそのままハートに届き、その質を感じることができる。(p206)

ハートは常にいかにしてもっと与えるかを感じる。その温かさは、与えることだ。エネルギーを与えること、内なる波動を与えること、生命を与えることだ。(p206)

触れてみなさい。目を閉じて、何にでも触れてみるのだ。

恋人に触れる。子供や母親、木や花、または大地に触れる。

目を閉じて、ハートから大地への、あるいは恋人への交流を感じる。

手は大地に触れようとして伸びる自分のハートだと感じる。その感触をハートに結びつかせなさい。

音楽を聴くならを、頭で聴いてはならない。頭を忘れ、自分には頭がないと感じなさい。頭はない。

寝室に首なしの写真を置くといい。そして集中しなさい。自分には頭がない。頭が入るのを許してはならない。

音楽を聴いている間はハートから聞きなさい。音楽がハートから入ってくるのを感じなさい。ハートを音楽とともに、脈動させなさい。

五感を頭ではなくハートに結び付けるがいい。五感全体で試み、あらゆるあらゆる感覚がハートに入り、溶けこむのをもっともっと感じるのだ。(p207)


質問 ハートセンターを開き、発達させるための実践上のポイントをいくつかお願いします。

第一点。まず頭をなくすことだ。頭のない自分を視覚化する。頭がないものとして行動する。馬鹿げているようだが、これは最も重要な実践法のひとつだ。(P150)

まるで自分に頭がないかのように歩き、感じる。(P150)

頭なしで歩いてごらん。あるいは座って瞑想する。目を閉じて、ひたすら頭がないと感じてみる。「わたしの頭が消え去った」と感じてみる。(P151)

最初のうちはただ「まるで」だろうるだが、少しずつ、頭が本当に消え去ったと感じるようになるだろう。そして、頭が消え去ったと感じる時、センターは即座にハートへと落ちる。その時、あなたは、頭ではなく、ハートを通して世界を見ている。(P151)

だからまず第一に頭なしになる。そして第二には、もっと愛に溢れることだ。
愛は頭を通じては機能しない。だからもつと愛にあふれることだ。(P152)

だからこの瞑想の場合、もっともっと愛にあふれることだ。
。もっと愛には触れるというのは妻や子供や友人ばかりでなく、生そのものに対して愛にあふれるということだ。(P154)

あらゆる関係性の基礎に愛が置かれるようになれば、ハートセンターは、ますます活動的になる。ハートセンターは働き始める。そして世界に対する見方が、変わってくる。ハートはハートのやり方で世界を見る。マインドには、そのような見方ができない。マインドにできるのは、分析だけだ。ハートは統合する。マインドにできるのは、解剖や分割だけだ。ハートは統合する。ハートだけが統一をもたらす。ハートを通して見るとき、全宇宙はひとつの統一体のように見える。(155)

だからをもっと愛にあふれること、それが肝心だ。自分なにをしているにせよ、愛の姿勢が必要だ。いつもそれを覚えておく。草の上をを歩いている時、感じるのだ。その草が生きていることを。葉の1枚1枚が、皆自分と同じくらいに生きていることを。(p155)

肝心なのは、愛にあふれることだ。たとえ物に対しても愛にあふれる。イスの上に座っているときでも、愛にあふれる。そのイスを感じて、感謝の気持ちを持つ。その時そのイスのおかげで快適だ。その感触を感じ、それを愛し、愛にあふれる。その椅子自体は重要ではない。また食べている時は、愛をもって食べる。(P157)

だから食物に感謝して、愛にあふれることだ。普通われわれは、食物をひどく暴力的に食べる。まるで何かを殺しているかのようだ。吸収しているのではなく、殺しているかのようだ。あるいは、ひどく無関心に物を自分の腹にほうり込む。何の感覚もなく。自分の食物に、愛をこめて、感謝をもってさわってごらん。それはあなたの生命だ。それを採り、味わい、楽しむ。無関心ではいけない。暴力的ではいけない。(P157)

なんでもすればいい。だが愛を込めてすることだ。無関心であってはいけない。そうすれば、ハートセンターは機能し始める。するとあなたは、ハートの中深くへ降りて行く。(P158)

第一に頭がなくなったように振る舞ってみる。第二に愛に努める。そして第三には、もっともっと審美的になる。鋭敏になる。美に対し、音楽に対し、ハートに触れるあらゆるものにたいして。(P158)

もっと審美的に、もっと詩的に、もっと感受性豊かになることだ。(P158)

何か絵を描いてみればいい。(P158)

自分の家で何かを演奏すればいい。を笛でも吹けばいい。へたでもかまわない。。歌うなり、踊るなり、なんでもハートにかかわることをする。ハートトの世界にもっと鋭敏になる。特別な何かがなくとも、鋭敏になることはできる。(p159)

砂浜に横になっているだけでも、十分鋭敏になれる。砂に鋭敏になればいい。太陽に鋭敏になればいい。波に、風に、木々に、太陽に鋭敏になればいい。世界にあるありとあらゆるものに対して、鋭敏になれる。さあ、もっと鋭敏になり、活発になるのだ。活動的に鋭敏になるのだ。(P159)

参加しない限り、ハートセンターは機能しない。だからときには、踊った方がいい。偉大な舞踏家になれとは言わない。その必要はない。どんなに不器用だろうが、とにかく踊るのだ。するとハートが感じられるようになる。踊っている間、あなたのセンターはハートだ。マインドではない。子供のように、飛び跳ね、遊ぶのだ。時には、自分の名前、自分の地位、自分の学位を完全に忘れて、子供のようになる。深刻にならないで、時には生を戯れとみなす。そうすればハートは成長する。ハートはエネルギーを得る(P160)


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